ビジネスは「思い」だけでは成立しないだろうけど、

しかし、「思い」というものが予想以上のエネルギーを生むことはいつも実感する。

わたしは、いつもそうやってなにかしたいことは「思い」に引張られてやってきた。


プライドってなんだろうか?

一番大事なプライドを支えるための、プライドのあるビジネスという分野があるということを、

伝えたい人がいる。


プライドを守るか?ビジネスに走るか?のふたつにひとつじゃなくて、

どちらも手に入れることができるんだということを。


でも、きいてくれないだろうな。

ある青年との出会い、ありがたい出会いでした。

「がんばってね」じゃなくて「がんばっているね」といってほしいと言う。


アスペルガー症候群というひとつの障害特性でくくるには、

あまりにも多彩な、それぞれの個性をもつ人たちがいる。


脳機能の特徴に共通システムがあるのかもしれないけど、

性格や、特性の表面化具合がさまざまにちがっているのだから、

多彩で当たり前だ。


障害特性と、本人の人間性(人格、人柄)はまったく別のレールを走っていて、

障害特性とそれが、ないまぜになって一人の人間を表現しているのだと思う。


みんなちがって当たり前だなんだね。


障害特性があってもなくても。

同じ障害名のくくりの中にいてさえも、一人は一人。


みんなちがって、みんないい。

金子みすずさんのいってた通りだ。


困り感も一人一人違うのだから。ニーズも一人一人違う。

静かに見守りながら、できることを綿々と。それがわたしの生きる道。


「がんばってね」じゃなく、「がんばっているね」と言われると、

わたしも確かにそのほうがうれしい気がする。


「がんばってね」は、少し切り離された感があるけど、

「がんばっているね」には、近くで見守ってもらっているような温かみがある。

年明けから、わたしを縛っていた、ある学会での登壇発表が終わった。

たくさんの学者さんや学生さんを前にどれだけ緊張するかと思ったら、

近視と遠視がすごく進んでいるわたし。

老眼鏡で原稿を時折、読みながら、パワポを見ながらと、話すので、

オーディエンスのことがよく見えず、おかげでまったく緊張することなく、

いつもどおりにバリバリと話すことができましたわ。


不登校について。発達障害について。率直に話した。

とてもいい意味での共感を得られて、いい体験だった。

教職、支援職、医療職、みなさんのお力をわけていただいて

息子と一緒に育ってきたわたしだ。これからはみなさんに恩返し。

講演というほどではないけれど、話を聴いていただく、できれば対話をしていく、

そういう活動も少しずつ、はじめる。





星景写真家の中垣哲也さんの映像とトークの夕べにいった。

オーロラの映像がすばらしくてびっくり。

アラスカ・カナダで撮り貯めたオーロラの写真をパラパラ漫画のように

映像化して動画で見せてくれた。


オーロラも素敵だけど、アラスカで出会った動物たちの写真がと~~ってもかわいい!

子供にえさを与えようと奮闘する母グリズリーやトナカイ・・・・・

ただただ黙々と歩く歩く鹿の群れ・・・・・

動物たちの顔がピュアでピュアで泣けてくる。


中垣さんご本人も本当におやさしい人柄とユーモアが感じられる素敵な写真家でした。

またお会いしてあの心地よいトークに浸りたいなあ。


オーロラの緑色は、地球に生物がいる証拠、酸素がある証拠の色なんだって。

とても専門的なお話もしてたけど、よくわからなかったけど。

地球ってすごく奇跡の星なんだってことがよく伝わってきて、とてもうれしかった。


「地獄を見てはじめて究極の美を見る感性が獲得できる」

みたいなことをおっしゃっていた。


極寒の地に滞在中はお風呂も入らず、命知らずな撮影を繰り返してきたカメラマン、

アーティストですね、その言葉には深く納得。






甥の就職祝い(就活は長丁場だったね)

父の快気祝い、お誕生日祝い、父の日、姉たちの転勤祝い。

そして姪の婚約の報告。

先日、一族のおめでたいことをいっぺんにお祝いしました。

この日のごちそうは、めでたく念願の就職先に合格を果たした甥の手料理。


さて、息子は黙々とお肉を食べて、黙々と皿洗い、丁寧に丁寧に。

親戚一同にほめられまくっていたね(*^ー^)ノ

あとできくと、進路をきかれるのが面倒だった・・・・

かといって、なにもいもきかれないのもさみしい・・・・

だからキッチンにこもって皿洗いに徹していたそうだ( ´艸`)



今日までのこと、これからのこと。


もうだめ\(*`∧´)/

これ以上太っちゃだめ>わたし


でもでも


LOMBARD PREMIUM POPCORN

キャラメル味、美味しすぎる!!


でもでも、もうだめ~~食べちゃだめだめ


お腹があああ、醜すぎる((((((ノ゚⊿゚)ノ

やだやだ、目指せ!30代のころの体系!

カムバ~ック、わたしのウエスト!


だけど、同年代のおじさんのお腹が出てるのはきらいじゃないの。

なんか安心するんだよね。←へんなの(^ε^)♪


おじさんといえば、駅裏のおじさん、今日も元気そうだったな。

だけど、やっぱりお布団で眠れるところに移ったほうがいいよ・・・

夏がくるからね。




今日までのこと、これからのこと。





























北大祭に行きました。

今年で52回目というから、すごいね。

今年は、息子さんが学祭に参加しているという知人に誘われて

二人でしばらくぶらぶらと歩きましたよ。


留学生の出店は、おいしいものがいっぱい。

知人は語学がよくできて、英語はもちろんなんだけど、

今はタイ語をお勉強中ということで、

タイ人留学生のお店でしばらく立ち話。


お隣のブースでは、韓国人留学生のチョゴリがとても美しくてうっとり。

女学生さんご本人もそれは美人で、お肌が超きれいでした。

出してたお料理はトッポギというのかな、すごくおいしかった~。


交通整理もゴミの処理もきちんと手配されていて、礼儀正しく&楽しめるお祭りでしたね。

スタッフの学生さん、一生懸命で健気だったな。いい子達ばかりでまぶしかったです。

若者の特権だもの、やりたいことをがんがんやって心の身長を伸ばしてねー。

若さがちょっぴりうらやましかった一日。








傍らにいるということ。


石垣靖子氏のお話をお聴きしながら、涙があふれてとまらない。困った。

穏やかな漣のような語り口調のマジックなのか。


自分自身を、わたくしはかけがえのない存在であると自覚できること。

人間的なぬくもりの中で、自らに尊厳があると信じられること。

尊厳の中で、自分の人生はこれでよかったんだと納得できることの幸福。


がん終末期における患者さんの希望と尊厳をどう維持するかという

ホスピスケアの実践を通して、石垣先生が感じてこられたことは、

そっくりそのまま、子供の育ちにもいえることかもしれない。

今を生きる大人にもいえることではないかな。


命ある存在が傍らにいてくれることが、その人が希望をもつ力を引き出す。

その人にしか生きることのできない人生を遠くから見守ることもできる。



今はとても元気。息子は高校3年。

「今日は学校を休んだけど、昨日は学校帰りに野球をしてきたよ。

10人くらいで。公園で。しかも自主的に!」

(自主的に!に力を込めてアピールするところがかわいらしい)


夏に、とあるシンポジウムに参加する。「息子の場合の~」を語る。


「そんなにオレを学校に行かせたいなら、学校に行くことの意味を教えてくれ」

これには、わたしの力では何とも応えられず。

(当時の支援者も絶句、すごいですね(((( ;°Д°)))))としか言ってくれなかった(笑)

「オレはずっとがんばってきたんだ」

「行きたくても行けないんだ」

不登校時代の息子は、心の底から言葉をたくさん吐き出した。



それが、誰かのなにかのヒントになるなら、やはりうれしい。

たくさんの涙も親としての自身への悔しさも意味があったと思えるならうれしい。

いろんな出来事への憤りも手放すときがきたんだと思う。


毎朝、腹痛、頭痛を訴えて苦しむ姿はやりきれなかった。

息子の不登校は、自己防衛だったと思う。

自分を守るためには、当時の学校へどうしても行けなかった。

(それなのに登校させようと必死になっていた親と先生と・・・。

ごめん、わからなかったんだよね、そのときは)


特別支援という発想のまったくない場所で(いじめとからかいの渦の中で)

時間を過ごし、がんばっていた。

でもがんばりきれなくなって、心がかちこちに固まってしまった。


それが今、ようやくとけてきて。

「学校に行けなかったのは、カラダがだるくてたまらなかったから。

未練はあったんだ」と先日もらしていた。


母も話してみよう。



今夏にストレスマネジメントをテーマにすえて、K子先生に講演を依頼した。

養育者も教育者も、なにより当事者もストレスフルな日々だと思うけど、

今回はあえて、養育者本人が主人公。


対子供、対周囲の人たち(学校の先生、子供の友達の保護者、親戚など)との

あつれきから受けるもの、

発達障害をもつ子供を育てる中で浴びるさまざまなストレスを

いかに自分の中でマネジメントしていくかという学びだ。


いろんなシチュエーションで応用できるお話だと思う。

発達障害を越えても活用出来ると思う。


K子先生はパワフルでとてもやさしい方だ。

ご自身も当事者としてたいそう困難な道のりを乗り越えていらしたから。

自分の足で歩いてきたひとの言葉には真実味と説得力がある。